自己実現、夢を叶える、努力

夢を叶える5つのコツ。〜第1章 迷いを捨てる〜

本記事は「夢を叶える5つのコツ」というシリーズの第1章です。
全記事はこちらから読むことができます。

Contents

第一章「迷いを捨てる」

「夢を持って生きること」は、決して非現実的な愚かなことではない

現実

あなたが「夢」「やりたいこと」を見つけたとき、もしかしたら「あなたを止める人」が現れるかもしれません。

「もっと現実を見たほうがいい」
「夢を叶えられるのは一握りだけ」
「世の中そう甘くない」

こんなことを言って、これから夢に向かおうとする人を「止めようとする人」が世の中には一定数います。

…だけど、こんな言葉は全て無視して大丈夫です。
一切、聞く耳を持たなくていいです。

そもそも彼らは「現実を見ている」といいますが、それは嘘っぱちです。
何故なら本当に現実を見ているなら、これから夢に向かって進もうとする人を止めるわけがないからです。

冷静に、考えてみてください。
「私は夢もなく、ただ日々やるべきことに追われるだけの人生を続けて80歳になってしまいましたが、おかげで今こんなにも幸せです」なんて言ってる人を見たことありますか?

無いはずです。
そりゃそうです。
人類の歴史上、そんな人は1人もいないからです。

わかりますか?
要するに逆なんです。

この世界にある間違いない現実は
「夢を持ち挑戦し続ける人は幸せそうに生きている」
「夢も目標も無く惰性で生きる人は苦しそうに生きている」
の二つです。

だからもし彼らが本当に「現実を見ている」のであれば、「人生には夢があったほうがいいし、何かやりたいことを見つけたならそれはぜひ行動した方がいい」という結論に至るはずなのです。

でも実際はそうなってない。
彼らは「あなたが夢を追うこと」を止めようとしている。

ということは、この人達は「現実を見ていない」のです。

これは何も難しい話じゃありません。
ただ「現実」を見れば明らかな結論です。

あなたは夢を追って良いし、むしろ追わなければいけません。
でなければ惰性の人生になってしまい、あなたが不幸になるからです。

きちんと現実を見れば、こんなことは子供でもわかることです。

本当の現実

「好きを仕事にできる程人生は甘くない」と言う人がいますがこれは逆です。
そもそも仕事って人生の時間の殆どを費やすものなのだから、だったら楽しいことを選んだ方がいいと言える。
むしろ「好きじゃないこと」を40年50年続けても体を壊さず心も病まずにいられるほど現実は甘くないので、もっと現実を見たほうがいいです。

自称:現実主義

世の中には「現実は甘くない」ということを言いたがる人達がいます。
そして彼らは往々にして自分のことを『現実を見てるだけ』と言うのですが、これは嘘です。
彼らはまったくもって現実主義者ではありません。

なぜなら、彼らは「ポジティブな可能性を見ていないから」です。

基本的に彼らが見ているのは常に「ネガティブな可能性だけ」です。
確かに夢を追えば、うまくいかないこともあるでしょう。
でもこの世界は「それが全て」ではないはず。
この世界には、「夢を追って叶う人」だっています。
本来はこれも「現実」の中にある出来事なので、本当の現実主義者ならば、そういう可能性のことだって視野に入れなければいけません。

ネガティブな可能性とポジティブな可能性、その両方をとくに偏ったりはせず、平等に視野に入れる。
それこそが、真の「現実を見る」ということです。

願いが叶わない可能性があることを受け入れつつも、決して夢や希望を捨てたりはしない。
それこそが、真の「現実を見る」ということです。

「ネガティブな可能性だけ」に注目して物事を判断するのは、本当の現実主義とはいいません。
それはただの「悲観主義」です。

未経験のアドバイザー

世の中にはすぐに「夢は叶わない」「世の中そんなに甘くない」と語る人がいます。
でも、そんな彼らの中に、実際に「夢を追うという行動」を実践したことがある経験者は1人もいません。

野球をしたことがない人間が、野球少年にアドバイスしていたらどう思いますか?
会社経営をしたことがない人間が、これから起業しようとする若者にコンサルを申し出てたらどう思いますか?

そんなの絶対に聞く意味ないって思いますよね。
でもどういうわけか、夢や自己実現になると、これと同じ判断がみんなできなくなります。

「一度も夢を追ったことがない人間」が、「夢は叶わないと決めつけている」のも、これと同じなのに。
不思議です。

下調べ

「夢なんて叶うわけない」と決めつけている人は、そもそも下調べをしていないことがほとんどです。
その夢を叶えるためには何が必要なのか?
どういう過程が必要なのか?
それをきちんと調べたり、勉強したり、すでに成功している人に話を聞ける機会がないか探したり、そういう具体的アクションを何もしていない。
何もしていないくせに、自分で勝手に「できるわけない」と決めつけている。
そんな人ばかりです。

こんな人達の言うことを鵜呑みにしてはいけません。

彼らの本音

「現実は甘くない」と思い込んでいれば、永遠に行動しないで済みます。
だから、彼らはそれを言い続けます。

そしてそういう言い訳だらけの人生を生きている自分が間違っていると思わないで済むために、仲間を増やそうとします。
だから彼らは、あなたが夢を追うことを止めようとします。

だって、もしあなたが夢を追って成功なんてしてしまったら、自分たちの生き方が間違っていたことが証明されてしまう。
それが嫌だから、彼らはこんなにも必死に「これから夢を追いかけようとしている人」を止めるのです。

「夢を叶えられるのは一握りだけ」なんて嘘っぱち

1割の正しい内訳

世間では「好きを仕事にできるのはほんの一握りだけ」と信じられています。
でも経験者として言わせてもらうと、そもそも好きを仕事にするためにきちんと学び、情報収集し、その学びをもとに自分の行動を変えていく人が全体の1割くらいしかいないというだけです。

要するに好きを仕事にできる人が1割しかいないのではなく、本気で行動する人が1割しかいないだけです。

逆にここまで徹底的にやっている人は100%の確率で成功しています。
失敗してる人なんて見たことがないというレベル。
だったら、あなたも本気で行動すればいい。
そうすれば夢なんて簡単に叶います。

夢を叶えることは簡単

本来「夢を叶えること」は何も難しいことではありません。

例えば飲食店を始めたいなら
・きちんと立地を考え
・きちんと事業計画を立てて
・きちんと宣伝を行い
・おいしい料理を作り
・店を綺麗にし
・愛想良い接客を心がけ
という6点を行えばいいだけです。
ここまで徹底的にやってれば、失敗するほうが難しいでしょう。

もし現時点の自分では何をすればいいかわからないというなら、まずはそれが理解できるようになるため勉強すればいいだけです。
書店にいって本を買うとか、先駆者のセミナーや講座を受講してみるとか。
そういう学びのためのアクションをすれば、どうすればいいかがわかるでしょう。
そしたら、あとはそれを実行するだけです。
何も難しいことじゃありません。

本来「夢を叶える」とは、できるorできないではなく、やるorやらないなのです。

やるorやらない

例えば、適切な食事管理を行い、適切なフォームで筋トレすれば、そこに才能も運も関係なく、どんな人でも痩せます。
ダイエットしてるはずなのに痩せない人は、決して才能がなかったわけではありません。
ただ自分の食事管理が甘くて徹底されていなかったか、運動時のフォームが知識不足で適切ではなかったから、結果が出なかったというだけです。

あなたが現時点で体重何キロであろうと、今この瞬間から「適切な食事管理」を行い、さらに「適切なフォームでの運動」を2年も続ければ、そこまでやっても体重が減らないということは物理的にありえないはずです。
もし自分1人だけではそれができないというなら、コーチなどをつけて、その方に管理してもらえばいいだけです。
あるいはひたすら勉強し、知識を増やすとかでもいいでしょう。

本来、夢を叶えるのもこれと同じです。
成功したいなら適切な行動をとればいいだけ。
適切な行動がわからないなら、勉強するか、先生をつければいいだけ。
だからこれは「できるorできない」ではなく「やるorやらない」の問題です。

にも関わらず、世の中の多くの人が、これを「できるorできない」だと錯覚しています。
なんとも悲しいことです。

経験談

実際に行動する前は、全員が「私には好きを仕事をするなんて無理」と言います。
でも実際に行動すると、全員が「難しいことは何もなかった。ただ行動する。それだけだった」と言います。
これは本当によくあるあるな話です。

カルト

ここまで言っても、それでもなお「夢が叶うわけない」という人は、それを証明する事例を持ってくるべきです。
「夢とは叶う可能性が低いものである」ということを論理的に証明することができる事例。
それを出すことができないなら、それは自分にとって都合のいいカルト宗教を信仰しているのと変わりません。

理解

本当に難しいのは
「夢を叶えること」ではなく
「夢を叶えることは簡単だと理解できる自分になること」のほうです。

これは、なってみればわかります。

本当に難しいのは、夢を叶えることではなく、夢を叶えるのは簡単だと理解できる自分になること

僕は2014年頃、ふと「会社員したくない」と思い立ち、そこからニートになり、そしてなんとかして「インターネットを使ったお仕事」で個人で食べていくことはできないかと挑戦しました。
それから4年経ちました。
僕は今、このブログから得ている収入だけで生活できるようになりました。
なんなら、渋谷に事務所まで持てるようになりました。
つまり僕は、夢を叶えることができたわけです。

そんな僕の感想から言わせてもらうと、
本当に難しいのは「夢を叶えること」ではなく、
「夢を叶えることは簡単だと理解できる自分になること」のほうでした。

実は、夢を叶えること自体は、簡単なんです。
なぜなら、「当たり前のことを当たり前にやればいいだけ」だからです。
例えば僕の場合は、ブログを使って収入を得ようとしていましたので、この場合の当たり前とは、「ある程度定期的にブログを更新すること」や「お客様目線にたった記事を書いて人の役に立つこと」「ファンを増やしていくこと」などが該当します。
これらは、気付いてみればどれも当たり前のことばかりです。

しかし始めたばかりの頃の僕は、こんな当たり前のことがわからなかったんです。
自分なりに努力していたつもりではあったものの、それが全て、独りよがりな努力ばかりで、本当にお客様目線にたって、人に喜ばれるような活動をすることができていませんでした。
しかし、2年経ってもなかなか稼げなかったある日、「このままではいけない」と思い、自分を変えるために、マーケティングの本を読んだり、ブログ集客の本を読んだりして、勉強しました。
しかしどの本を読んでも、「ごくごく当たり前のこと」しか書いておらず、一発で何かが変わるような必殺技や裏テクのようなものはどこにもなかったんです。
そこで僕は気づきました。
「あぁ、成功した人っていうのは、こういう当たり前のことを当たり前にやったから成功しただけなんだな」と。

そこからの僕は心を入れ替え、裏テクのようなものを探すのはやめました。
当たり前のことを当たり前にやることを心がけました。
頭ではわかっててもどうしても実際に行動できないときは、心理学の本などを読んで「どうすればできるようになるのか」を考え続けました。工夫し続けました。
そんな日々を繰り返していたら、少しずつ効果が出るようになり、今では「ブログを書いていただけで渋谷に事務所が持てるレベル」まで成長することができました。

そう、実は夢を叶えるために必要なことって、
特別な才能とかそういうんじゃなくて
当たり前のことを当たり前にやろうと決意すること。
たったそれだけなんです。

つまり、「夢を叶えるなんてだれでもできる」ってことです。
だって、当たり前のことを当たり前にやればいいだけなんですから。笑

もちろん「何が当たり前なのか」を判断できるようになるためには、勉強したり、コンサルなどの先生をつけたりする必要はあるかもしれません。
でもそれだけでいいんです。
たったそれだけで、どんな人でも夢は叶えることができます。

考えてみよう

あなたが、あなたの夢を叶えるために必要なことは、以下の6点について考えるだけです。

・最終的にどんなゴールに到達したいか
・それを実現するには、今のあなたには何が足りないか?
・足りないものを埋めるにはこれからどんな行動が必要か?
・その行動はどういったスケジュールで進行するか?
・そのスケジュールをもとに、今月は何をするか?今週は何をするか?
・今日は何をするか?
こんなふうにきちんと整理して考えていけば、夢なんて叶って当然であり、むしろ叶えられない方が難しいことだということが、理解できるようになります。

才能というまやかしについて

才能はいらない

よく「自分なんかが挑戦して成功できると思えない」「自分なんかにそんな才能はないと思う」という相談を受けます。

僕はこれを聞いて、いつもこう思います。
「うーん。そもそもあなたの夢ごときで、才能が求められることはないと思いますよ」

なんというか、みんな大袈裟に考え過ぎなのです。
一口に夢といっても、生まれ持った才能が必要なレベルのものと、そうでないものがります。

例えば、以下のようなものは「生まれ持った才能」が必要です。
「オリンピック記録を塗り替えたい」
「年商100億円を超える大会社を作りたい」
「歴史に名を残すレベルの絵画、音楽を作りたい」
「歴史上、誰も解読できなかった暗号や謎を解き明かしたい」

このレベルの目標であれば、これは規模が大きいことなので、確かに努力だけでは追いつけない壁があるでしょう。
でもあなたの夢って、ここまで大きいことでしょうか?
おそらくほとんどの人の夢は、ここまでのレベルのことではなく、もう少しこじんまりとした小さなものかと思います。

例えばこんな感じ。
「カフェを立ち上げて、自分の自由に、自分のペースで働ける働き方をしたい。それで月50万円も稼げればだいぶ安心」
「YouTubeで月収100万円になりたい」
「音楽や小説で食べていけるようになりたい」

はっきり言って、これくらいのレベルのことを実現するために必要なのは、才能ではなく、地道な勉強と行動だけです。
カフェをやりたいというなら、まずは最低限お客様に出せるレベルの飲み物を作れるようにならないといけないし、事業計画などを立てれるようになる必要があるでしょう。
でもこれらは全て、ただただ基礎的なことをきちんと勉強すればいいだけであり、そこまで高度な独自性やクリエイティビティが求められるようなことではありません。

こんなのは、勉強と学習でいくらでも実現できることであり、天性の才能が求められるような次元の話ではありません。

繰り返しになりますが、みんな大袈裟に考えすぎなのです。
例えば「私に車に乗る才能があるだろうか」と悩んで、いつまでも教習所にいかない人がいたらどう思いますか?
「私ごときに味噌汁を作る才能があるだろうか」と悩んで、いつまでもレシピすら調べない人がいたら?

「その程度のことに、才能もクソもあるかいー。」って思いますよね?
「才能を気にして夢を叶える一歩を踏み出さない人」というのは、これと同じなのです。

「運動が向いていない」と信じて32年生きてきたのに、それが自分の「カン違い」「早とちり」だったと判明した話

何かが向いていないと感じる時、それは本当に向いていないのではなく、
自分自身が勉強不足なため「向いていないとカン違いしているだけ」ということも多いです。

例えば昔の僕は、自分のことを「筋肉がつかないタイプだ」と認識していました。

その根拠は、「小学校のときもそんなに運動の成績が良いわけではなかった」「さらに大人になってからも一度だけ月額3000円で通い放題のジムにいったものの、どれだけやっても痩せることもなかったし、体作りもできなかったから」でした。
それ以来、僕はずっと、「僕は筋肉がつかないタイプなので」といって運動から逃げつづてきました。

でも32歳くらいのとき、ひょんなことから「1セッション8000円」のパーソナルトレーニングを受けるようになりました。
そしたら、トレーナーさんは僕よりもしっかりした体の知識を持っていたため、どういう運動をすればいいか、どういうフォームでそれを行うのかなどを細かく指導してくれました。
その結果、僕は痩せることができましたし、いい体を作ることができました。
さらにいえばトレーナーさんから、「中川さんは筋肉がつきやすい体ですね」と言われました。

これを聞いたとき、僕はびっくりしてしまいました。
だって32年間、自分は「筋肉がつきづら体だ」と信じていたのに、専門家の指導を受けたらその逆の評価をされたからです。

わかりますか?

つまり僕は、客観的事実は「筋肉がつきやすい体だった」わけです。
でも自分自身が運動に対して不勉強で無知だったから、適切なフォームで練習をしていなかったため、そのことに気付けなかったわけです。
その結果、「自分は筋トレ向いていない」とカン違いしたまま32年間生きてたわけです。

こんなふうに、
何かに対して
「苦手」とか
「向いてない」とか
「才能がない」とか
そういうことを言う人は、
ただの早とちりであることも多いものです。

あなたも今、もしかしたらこんなことを考えているかもしれません。
「私はパソコンが苦手」
「私はSNSが苦手」
「私は数字が苦手」
「私はコミュニケーションが苦手」
「私はコツコツ続けることが苦手」

それは本当に事実なのでしょうか?
ただの思い込みである可能性はないでしょうか?

才能はないことが前提

夢を追って、失敗する人によくあるパターンは以下の通りです。
・自分に才能があるか?を心配する
・誰かに「才能がある」と後押ししてもらい勇気が出る
・勇気だけで進む
・うまくいかない

夢を追って、成功する人によくあるパターンは以下の通りです。
・私には特別な才能なんてないと認めるところから始める。
・才能がなくても夢を叶えたいから、謙虚に学びながら進もうと考える
・うまくいく

才能があるかどうかを気にしている人は、絶対に成功できない

成功する人と、成功できない人では、根本的なベースの考え方が違います。

成功する人は、こういう風に考えます。
「成功するために必要なのは、生まれ持った才能ではなく、努力だ」
「だから私は、成功するために努力するんだ」
「もしかしたら私には才能がないかもしれないけれども、それでもまじめに努力すれば必ず何かしらの道は開けるはずだ」

成功できない人は、こんなふうに考えています。
「成功するために必要なのは、生まれ持った才能だ」
「才能がなければ、どれだけ努力したって無駄だ」
「私は、無駄な努力はしたくない」
「だから、自分自身に才能があるかどうかが心配だ」

すると、実際に行動したとき、以下のような差が生まれます。

・学習面での差
成功する人は、「才能よりも努力が重要」と考えているので、とにかくめちゃくちゃ学びます。勉強します。
この努力が報われるかどうかなんてわからないけど、でも努力しなくちゃ報われないことは確かだし、例えここでは成功できなかったとしても、その努力はいつか必ずなんらかの形で実を結ぶと信じて、とにかくものすごい量の勉強をします。

成功できない人は、「努力よりも才能が重要」と考えているので、最低限の勉強しかしません。
成功する人が年間50冊の本を読む間に、彼らは年間3冊くらいの本を読んだだけで「がんばったつもり」になります。

・行動面での差
どれだけ勉強を重ねても、なにごとも最初の1000回くらいはなかなかうまくいかない時期が続きます。
このとき、成功する人は、そのことを「自分の努力不足」と解釈するため、そこまで大きくはへこみません。
これからも地道に努力を続けていくだけです。
さらに日々の失敗を、「では次はどうすれば同じ失敗をしないようになるだろうか?」と考え、工夫し続けることができます。
だから彼らは、失敗しても失敗してもあきらめずに、何度も挑戦することができます。

しかし成功できない人は、そのことを「もしかしたら私には才能がなかったのか?」とか、「今の私は、無駄な努力をしているのではないか?」と解釈してしまいます。
だから、だんだんとモチベーションが下がってきます。
彼らは、失敗するたびにいちいちへこむので、「行動できない時期」が発生します。
それは一つ一つは小さな差ですが、年間を通すと大きな差になります。

例えば「ブロガーになりたい」という夢を抱いたとき、成功する人は「1日1記事」をなんとしても続けるので1年後には365記事が完成しています。
成功しない人は、小さなことでいちいち凹むので、なんだかんだで月平均で4記事くらいしか書けず、1年後には48記事しか完成していません。
つまり1年後の時点で、約10倍の差ができてしまうということです。

しかも、成功する人は、これだけすでに行動しまくっていても、大抵は「まだ頑張る気まんまん」です。
なぜなら、「がんばればがんばっただけ報われるはずだ」と信じているからです。

成功できない人は、「成功する人の10分の1しか行動していない」のにも関わらず、大抵は「すでにがんばり尽くしたつもり」になっています。
「もう無理だ」
「限界だ」
「これ以上は頑張れない」
という心理状態になっています。
なぜなら、「才能がない人は努力しても無駄なはず」と信じており、その前提のうえで、「まだ成果が出ていない自分」を分析したとき、「無駄な努力をしている可能性」がちらつくからです。

・姿勢面での差
成功する人は、自分より上の人から「そのやり方は間違っているよ」と指摘されたときも、そのことを「努力してきた量の違いから生まれる判断だ」と解釈するので、いただいた助言をもとに素直に自分を変えていくことができます。
成功できない人は、自分より上の人から「そのやり方は間違っているよ」と指摘されると、そのことを「自分の才能が否定された」と解釈するので、なんかムカつく。すっとしない。いただいた助言を素直に受け取ることができない、というところに着地します。
彼らは、全体的に「自分を変えること」に、強烈な拒否反応を示します。
彼らは無自覚かもしれませんが、「自分を変えずに、成功したい」と考えてしまいます。
しかし、未熟な自分を変えようとせずに、未熟な自分のままで進んでいれば、当然これからもずっと成果が出ない日々が続くことになります。
あまりにも成果が出ないので、いつしか心がポキリと折れ、あきらめてしまいます。

こんなふうに考えたとき、才能の有無を気にする人は、もうこの時点でうまくいかないことが確定しているのです。
でもこれは逆に言えば、この考え方をやめればいいだけです。
夢を叶えるために才能など必要ない。
必要なことは努力のみ。
このように考え方を変えていけば、どんな人でもきちんと成功できるということになります。

向き不向きは存在しない

世の中には「才能の有無」や「向き不向き」を気にする人が多いですが、これは「現実から逃げているだけ」です。

だって
「才能の有無」や「向き不向き」という言葉を使っていれば、
「それはあらかじめ決められていること」で
「変えようがないこと」
と思い込むことができます。

すると、何かに挑戦して失敗したときも「私には才能がなかったから仕方ない」と考えることができます。
すると、何も行動しないで済みます。

もしこれを「努力量や勉強量の問題」だと捉えた場合、
「自分に足りていないのは才能ではなく、勉強量だ」ということになります。
すると、あとは「もっと努力するしかない」「もっと勉強するしかない」ということになります。

この結論に行き着くのが嫌だから、
いつまでも「才能の有無」「向き不向き」を気にしているわけです。

そうやって
「才能の差はあるはず」
「向き不向きはあるはず」
と信じていれば、
いつまでも行動しないで済みますし
勉強しないで済みます。

いつまでも問題を先延ばしにすることができます。
こういう人は、自分でも気付いていないかもしれませんが、そうやって何もしないでこれまで通りの日々を送ることを目指しているのです。
潜在意識では、「夢を叶えること」「豊かになること」よりも、「これまで通りであること」を優先したいと考えているのです。

でもそんな生き方の先に、希望があるでしょうか?
どう考えたって「無い」ですよね。
だってこれは「何もしない」ということなのですから。
人生を変えるための行動を何もしようとしない人に、素敵な未来がくるわけがありません。
だって、何もしていないのですから。

だったらここで、「才能の差ではなく、勉強量の差だ」ということを認めてしまい、
「勉強する」と決意したほうが、
確実に明るい未来が待っているはずです。

あるのは才能の差ではなく、行動回数の差

多くの人が「才能の差」だと思い込んでいるもののほとんどは、実際には「これまでの行動回数の差」だったりします。

YouTubeを初めてみたけど稼げないという人は、まだ動画を100本もあげてないことがほとんどです。
稼げている人は1000本以上あげており、なおかつ活動期間も2年を超えています。

僕は大昔に、ある対戦ゲームでどうしても弟に勝てなかったのですが、ある日「そのゲームの総プレイ時間」を確認したところ、僕は累積で50時間。
弟は500時間でした。

野球選手の大谷翔平さんは、みんながオフで休んでいるときも、自分だけは練習を欠かさないそうです。
これはイチロー選手も同じような言葉を残しています。

プロゲーマーとして有名な梅原大吾さんは、ゲーム内で「入力が難しい」と言われる「昇竜拳」という技を安定して出すために、毎日毎日ひたすら昇竜拳だけを入力し続ける時間を設けているそうです。

結局、優れた人は皆、「普通の人の何倍も行動している」のです。
その差が出ているだけ。

才能を忘れることが全てのスタートライン

藤田和日郎さんという漫画家さんを知っていますか?
うしおととら、からくりサーカス、月光条例などの代表作で知られる方です。
この方も、あるイベントで新人漫画家たちに向けてこんな言葉を残しています。

みんな運とか才能っていう、得体の知れない言葉にこだわりすぎるんだよね。

うちのアシスタントからも「天才だ!」とか新人の頃にもてはやされていない奴が努力してマンガ家としてデビューしているからね。
雷句誠とか安西信行、それから井上和郎ね。
だから、運とか才能とかはもう忘れよう。

才能ということを忘れることから第一歩は始まるよ。
自分になにもないって分かることは悔しいかもしれない。
でも、マンガの持ち込みをしたときに「俺には才能も、知識もない、でも頑張るしかないんだ」って気づかされて、人の話を聞かないとマンガ家になれないと痛感して、人の話を聞くようになる。
才能というのは、人の話を聞くこと、聞いたことを自分の中で上手に面白く再現できること。

本当に足りないもの

世の中のほとんどの人に圧倒的に足りていないものは、才能ではなく、勉強と努力です。

年齢というまやかしについて

夢と年齢

よく「私はもう若くないから夢なんて追えない」と言う人がいますが、こういう人は自分の中の思い込みではなくきちんと現実の事例を見た方がいいです。

・カーネルサンダース「40歳からガソスタ経営。65歳からKFC立ち上げ!」
・安藤百福「47歳で全財産を失う。48歳でチキンラーメン発明して逆転!」
・アンナモーゼス「75歳からリウマチのリハビリで油絵を書き始め国民的画家に!」

このようにきちんと現実の事例を見れば、高齢から夢を叶えた人なんて、この世には無数にいることがわかります。

限界

自分の限界というのは、年齢で決まっているのではありません。
自分の心が決めています。

これは精神論ではなく、客観的な事実です。

プロゲーマーのウメハラさんという方は、「歳をとると反射速度的に難しくなる」と言われている格闘ゲームの世界で40歳をすぎてもいまだに世界最強のゲーマーとして君臨されています。

野球選手のイチローさんは、現役引退後も練習を続けており、50歳のときに投球で自身の最速記録を更新しました。

お笑い芸人のエドはるみさんは、17歳から女優として20年活動されていましたが、40歳でお笑い芸人に転向、そこでもしっかりと実績を作って一躍人気者に、さらに52歳で慶大修士課程入学、58歳で筑波大博士課程入学、いくつになってもずっと成長し続けています。

このように、歳をとってからでも成長している人は世界に無数にいます。

自分がここまでだと思うから、そこまでになります。
自分がまだいけると思うなら、年齢なんて関係なく、人はいつまでも進化し続けることができるものです。

老いとは

よく「私はもう老いている行動できない」と錯覚してる人が多いですが、これは逆です。
正しくは「行動しないから老いる」のです。

基本的に、歳をとっても若々しい人は、自分に限界を作りません。
何歳になろうとも常に新しい何かに挑戦しています。
だからいつまでも生き生きとしてるし、若々しく見えます。

普通の人はすぐに「自分の限界」を作ります。
今まで通りの中に留まろうとし、新しいものを避けようとします。
だから老います。

老いとは年齢によって決まるのではなく、生き方によって決まるのです。

いい歳して恥ずかしい?

僕は人の相談を受ける仕事をしてます。
以前ある相談者から、「いい歳して夢を追うなんて恥ずかしい気がして…」と言われました。
僕はその人にこう返しました。

「え?逆じゃないですか?だっていい歳して夢追ってる人って、だいたい輝いてるし、魅力的で、幸せそうな人が多いじゃないですか。夢がない人大体その逆ではありませんか?だったらむしろ『いい歳こいて夢の一つもないほうが恥ずかしいこと』なのではないでしょうか」

自信がないは言い訳

自信がないは嘘

「自分に自信をもてなくて一歩を踏み出せない」
という人がいますが、これは言ってることがおかしいです。

なぜなら、もし本当に自分に自信がないなら
「自分なんてダメに決まっていると評価する自分の判断そのもの」
を疑うはずだからです。

でも実際はそうなってない。
彼らはどれだけ説明しても絶対に「自分に自信が持てない」という姿勢を崩そうとしません。

ですので、こういう人はむしろ自分に自信がありすぎなのです。
「自分はダメに決まっている」という考えに対して、「過度な自信」を持ってて、まったく人の話をきちんと聞いてないのです。

その負の自信を、捨てたらどうでしょうか。
もう少し、謙虚になってはどうでしょうか。

自信がないから行動できないは嘘

「自信がないから行動できない」と言う人が多いですが、それは逆です。

真実は「行動しないから自信がつかない」です。

1;行動しない
2:経験がつめない
3:経験してないから「判断の基準となるもの」がない
4:判断基準がないから自信がもてない

つまり、自信がついたら行動できるのではなく、行動してたくさん経験するから自信がつくのです。
理由と結論が逆になっています。

自転車

自転車に完璧に乗れる自信がついてから、自転車に乗ろうとする子供はいません。
誰もが「まだ乗れないうちから自転車に乗ることで」「少しずつ乗り方を理解する」という過程を進んだはずです。
しかしどういうわけか大人はみんな「自信がついてからじゃないと自転車になんか乗れるわけがない」と言い張る人が多いです。
不思議です。

「勉強してから人前に出ようとする人はものにならない」

徒然草を知ってますか?
鎌倉時代末期、1330年頃に吉田兼好が書いたとされる随筆集です。
その中でもこんな一文があるそうです。

これから芸事を身に着けようとする人はとかく
「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」
と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。

まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。

今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。
それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることができるようになった。
どんな世界でも同じである。

世の中には「完璧な自分になってからでなければ行動してはならない」という思い込みに囚われている人が多いですが、それは1330年の時代にはすでに「伸びない者の特徴」としてあげられている典型行動だったというわけです。

だから、あなたはぜひそうならないでください。
人に笑われることを恐れず、恥ずかしがらず、地道な努力を続けていきましょう。

勇者とは?

勇者とは、「魔王を倒せるかどうかはわからないけど、でも魔王に挑んだ人」のことです。
だから「勇気ある者」の略で、勇者と呼ばれます。

もし勇者が「魔王を倒せることが確実」なのであれば、誰も彼を勇者とは呼びません。
その場合、やってることはただの害虫駆除業者などと同じなので、それと同じような扱いになるでしょう。

夢を追うことにおいてもこれは同じです。
本来「自信がない」とか、そういうのは関係ないのです。
自信がなくていい。
でも、やると決める。
だから立派なのです。

自信がもてなければ魔王に挑むことなんてとてもできないとか言ってる人は、おそらく誰からも認められないし、なんなら情けない人間だと蔑まれてしまうでしょう。

失敗が怖いという自惚れ

挑戦して失敗するリスクが怖いあなたへ

よく「挑戦して失敗するリスクが怖くて一歩を踏み出せない」という人がいます。
こういう人は、リスクという言葉が正しく理解できていません。
なぜなら「行動しないことで発生するリスク」を軽視しているからです。

人生では何も行動しなければ、これから何十年も楽しくない生き方を続けなくてはならなくなります。
その先にいつしか心を病んでうつ病になるかもしれません。
体を壊して医療費がかさむかもしれません。
さらにその先に気づけば老人になってしまい残りの寿命もあとわずかだと気付いて、その時になっていまさら自分のこれまでの人生を振り返って『私の人生ってなんだったんだろう』と悩む日がやってくるかもしれません。

これらのリスクの方が、圧倒的に怖いと思います。

行動の先にあるもの

世の中のほとんどの人は、行動の先には「成功or失敗のどちらかがある」と本気で思い込んでいます。

しかし成功者の多くは、これとはまったく異なる捉え方をしている人が多いです。
彼らはこんなふうに捉えていることが多いです。
「行動の先には何百回もの失敗があり、その先に成功がある」

二つ並べるとこんな感じになります。
↓↓↓
A:「行動→成功or失敗」
B:「行動→失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、、、、成功」

では、どちらが正しいか?
もちろんBです。
基本的に何かに挑戦すれば、どんな天才でも最初から成功することなどありません。
人類の歴史上、そんなすごい人は1人もいません。
成功する人は「数えきれないほどの失敗を乗り越えた先に成功を掴み取っている」というパターンしかありません。

ですので、Aのような捉え方をして、「失敗が怖くて一歩を踏み出せない」という考え方は、もういろいろと根本的にずれているわけです。
失敗はあって当然だし、失敗は何度もすることが大前提です。
そこをまず受け入れなければ、話が始まりません。

「成功or失敗」という捉え方は、少し見方を変えると「自分には一度も失敗しないまま成功できる可能性があるはず」と思っているのと同じです。
それはいくらなんでも強欲です。

そもそも失敗を避けたいと考えること自体がおこがましい

実はハッキリ言ってしまうと、もしあなたが夢を追って行動を開始したとしても、おそらく最初は99%の確率で失敗します。
でも、そりゃそうでしょう。
だって最初の頃なんて、経験値がまったく足りないわけですから。

今日からボクシングを習い始めた人が、いきなり全米ボクシング大会で優勝できますか?
今日から英語を習い始めた人が、いきなり明日アメリカでディベート大会に出ることができますか?
そう、無理に決まっています。
だから、最初なんて失敗して当然なのです。

でもそれでいいんです。
その失敗が、あなたをもっと強くします。
その失敗であきらめず、今回の失敗を踏まえ次はどうすればいいかを考え、失敗を経験に昇華したうえで「もう一度挑戦しよう」とふんばることができれば、その次は少しだけ成功する確率が高まるでしょう。
これを成功するまで繰り返していけば、あなたも必ずどこかで成功することができるはずです。

何か新しいことに挑戦したいなら、こんなふうに「失敗はあって当然」を前提に、そのうえで考えを組み立てていく必要があります。
そういう観点で考えたとき、世の中によくいる「失敗が怖くて行動できない」という考え方は、はっきり言っておこがましいと言えます。

普通に考えて、あなたごときが、失敗しないわけがないじゃないですか。
だってまだ一度も行動したことないんでしょう?
ってことは経験が足りなすぎる。
だったら失敗するに決まっている。

でも、それでいいじゃないですか。
あなたは失敗したっていいんですよ。
それは何も恥じることじゃないし、悲しむことじゃない。
どうして失敗した自分を責めるのですか?
少なくとも僕は、失敗を恐れて挑戦すらしない臆病者より、ちゃんと挑戦して失敗している人間のほうが立派だと思います。

失敗を恐れない

歴史上の有名人などは、失敗を前向きに捉える達人のような人が多いです。

例えば、かの有名な発明王エジソンさんは、まさにこの「前向きな捉え方」がめちゃくちゃ得意だったことで知られています。
以下、彼の残している名言をいくつか紹介します。

私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、
うまく行かない方法を
見つけただけだ。

私たちの最大の弱点は諦めることにある。
成功するのに最も確実な方法は、
常にもう一回だけ試してみることだ。

失敗したわけではない。
それを誤りだと言ってはいけない。
勉強したのだと言いたまえ。

ほとんどすべての人間は、
もうこれ以上アイデアを考えるのは
不可能だというところまで行きつき、
そこでやる気をなくしてしまう。
勝負はそこからだというのに。

もちろん、生まれつきの能力の問題も
まったく無視はできない。
それでもやはり、
これはおまけみたいなものだ。
絶え間なく、
粘り強く努力する。
これこそ何よりも重要な資質であり、
成功の要といえる。

あなたは許されている

世の中には「失敗は絶対に避けなければいけない」と盲目的に信じてる人が多いですが、こういう人は少し落ち着いて考えてみてほしいです。
実際のところあなたが失敗したときに「許さん」「失敗者には死あるのみ」とか言う人っていますか?
絶対いないと思います。
世の中、そんなショッカーみたいな人ばかりではありません。

だから、あなたは失敗しても大丈夫なのです。
あなたは、あなたが思ってる以上に許されていますよ。

失敗して笑われることが怖いあなたへ

たまに「失敗して笑われることが怖い」「だから行動できない」という人がいます。

僕は、こういうこという人をあまり信用しません。
なぜなら、この悩みって、そもそも自分自身が「失敗した人を笑うなんて間違っている」という価値観を強く持っていないから発生する悩みだからです。

こういう悩みを抱える人って、無自覚かもしれませんが、失敗したら笑われるものであり、それは仕方ないことだと、そういう価値観を持ってしまっています。
だからそんなことが気になります。

僕は「他人の失敗を笑うような行為は間違っている」と思います。
だから、もし自分が何かに挑戦し、失敗したとしても、そのことで誰かに笑われたとしても、まったく気になりません。
だって、そこで笑うような人って、普通に最低じゃないですか。

なんでそんな最低な人間達のために、僕が気を使わなければいけないんでしょうか?

価値観

「失敗は恥ずかしいことである」という価値観を採用した場合、この理屈の中では失敗は「避けなければいけないこと」になります。
すると挑戦や行動が怖くなるでしょう。

「失敗は何も恥ずかしいことではない、むしろ立派なことだ」という価値観を採用した場合、この理屈の中では失敗することのデメリットが何も存在しなくなります。
すると、挑戦や行動への敷居が下がるでしょう。

あとはあなたがどちらを選ぶかです。
あなたは、失敗した人が笑われる世の中のほうが正しいと思いますか?
それとも、失敗した人が笑われない世の中のほうが正しいと思いますか?

失敗が許されない世界と、失敗が許される世界。
どっちが正しいと思いますか?

これはつまり、あなたの価値観が試されているのです。

他人の目より、自分の目

他人に「かっこわるい」と思われても悔しいだけで済みます。
ですので、これはさほど重要なことではありません。

でも自分が自分を「かっこわるい」と思うような生き方をしてしまうともうダメです。
自分を肯定できなくなります。
これはとても重大です。
自分を肯定できなくなると、多くの場合、そこから人生が転落していくからです。

だから人生はなるべく本音で生きた方がいいし、他人にどう思われるかなんて気にしないほうがいいのです。

後悔

行動したことによって発生する「後悔」は意外とすぐ忘れます。
10年後には、きっともう覚えてもいません。
あー、そんなこともあったなーくらいでしょう。

でも「行動しなかった後悔」は違います。
こちらは一生引きずることになります。
ずっと「あの時行動していれば」と悔やみ続けることになります。

きちんと現実を見れば、無理にポジティブに考えなくても自然とこの世界に希望を感じる

僕はよくポジティブと言われます。
でも自分ではまったくそんなつもりはないです。

僕はただただ冷静に、事実だけを見て、数値化して、定量化して考え、論理的に考えているというだけです。
別に無理に希望をイメージしてるわけではないし、悪い可能性から目を背けているわけでもありません。

別にそんなことしなくても、普通に論理的に考えれば、人生なんて「希望しかないこと」は明白です。

もしあなたが「人生は困難だらけ」「私の人生に可能性なんてない」と思うなら、それは絶対に現実を見ていません。
あなたは今、空想を現実だと錯覚しています。
自分の思い込みをもとに世界を見ています。

世界はあなたが思っているよりも、ずっとずっと明るいです。

まとめ

  • 夢や希望を信じることは、何も非現実的なことではない。
  • むしろ現実を見ればこそ夢や希望を信じて行動するべき。夢や希望を持たずに惰性で生きるほうが「厳しい現実から目を背けている」といえる。
  • 希望の反対語は現実ではない。希望の反対は絶望。現実の反対は妄想。
  • 夢を叶えられるのは一握りなんて嘘っぱち。これは「やるか」「やらないか」の問題であり、「できる」「できない」の問題ではない。
  • 夢を叶えることに才能は要らない
  • 夢を追うことに年齢は関係ない
  • 自信がないから行動できないのではなく、行動しないから自信がつかない。
  • 挑戦して失敗するリスクを恐れるのはおこがましい自惚れ。失敗はあることが前提であり、これを避けたいと考えること自体が身の程をわきまえていない。

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