この記事では
幸せな人生を創る方法
を解説します。
Contents
「幸せな人生の定義とは?」
まず始めに、「幸せな人生の定義」を示します。
幸せの定義は、当たり前の要素を埋めていくこと
僕が考える幸せの定義は、以下の通りです。
- 心がきちんと通じ合える恋人、あるいは配偶者がいて👫
- いつでも自分をさらけ出せる友人がいて👧
- 親兄弟とも友好な関係を作ることができていて😌
- 心の底からやりがいを感じる仕事ができていて🏃♀️
- なおかつ収入も人並み以上にあって(それなりに贅沢ができるくらいのお金があって)💰
- またその仕事はそんなに大変じゃなくて、少ない労力で仕事として成立していて🤤
- そのおかげで趣味や余暇を楽しむ時間があって🙋♂️
- 心身ともに健康であること😆
これらは、一般的に考えて「それがあれば当然、幸せだろうね」と思われる要素を並べたものです。
だったら、それを全部集めればいい。
そうすれば幸せになれます。
すごく単純な話です。
いきなりこれら全部を揃えるのは難しいかもしれませんが、その場合はいったん「どれは簡単に得られそうでどれは得るのが難しそうか」を整理し、簡単に得られそうなものはすぐにとりにいき、難しそうなものは「どうすればもっと簡単にできるようになるか」を考え、工夫していけばいいでしょう。
それを考える基礎知識がないというなら、本を読むなどして勉強すればいいです。
そうやって少しずつ自分を改善していけば、1年2年と経った頃には変化が出てくるはずです。
世の中には「どうすれば幸せになれるのかわからない」という悩むが多いですが、僕はその苦悩は根本的におかしいと考えています。
本来、「幸せがわからない」なんてことは、ありえないはずです。
だって、「愛してくれる恋人がいること」「お金があって余裕があること」など、それがあれば当然幸せになれるよねという要素は、この世にいくらでもあるのですから。
だったらそれらを一つずつ集めていけばいいだけの話で、幸せは何も難しいことではないはずです。
「できないの思い込み」を外そう!
しかしここで障害になるのが、「できないの思い込み」です。
世の中のほとんど多くの人は、一方では「幸せになりたい」と願っているくせに、「ではそのために、愛を深める方法、良い友人を持つ方法、お金を増やす方法、よりやりがいがある仕事をする方法、一つずつ整理して全部考えていきましょう!」と提案すると、たいていこう返してきます。
「私なんかに、そんな全部が満たされている人生なんて作れるんでしょうか…」
「私なんかが、そんな最高の人生になれるなんて、とてもイメージできない…」
こういう人は、「できない」の思い込みを外しましょう。
そもそも人生には、「生まれつき決まっていること」などほとんどありません。
どれだけ生まれつき太りやすい体質の人だったとしても、適切なフォームでトレーニングをして、適切な食事管理を徹底していけば、必ず痩せるはずです。
生まれつきの体質がどうであろうと、ここまで徹底すれば「痩せないほうが難しい」はずです。
痩せない人の多くは、生まれつきの体質のせいで痩せないのではなく、自分がそこまで徹底的なトレーニングと食事管理をしていないから痩せないだけです
それは生まれ持った素養のせいではなく、自分自身がきちんと行動を徹底するかどうかの違いがあるだけなんですね。
幸せもこれと同じです。
生まれ持った素養というのは、もちろんある程度はあります。
しかしそれが影響を与える部分は、全体としてはすごく小さいです。
それよりも重要なのは、自分の行動です。
自分がきちんと勉強し、知識を増やし、まずは「すべき行動は何なのか」を明確にする。
そのうえで、その行動をきちんと徹底する。そのために自己管理を行う。
これらを繰り返していけば、少なくとも個人の幸せレベルの要素であれば、この世界に「手に入らないもの」はありません。
あなたのことをきちんと愛してくれる良き恋人も、
あなたのことを大切にしてくれる良き友人も
お金も、
やりがいのある仕事も
全ては自分が「手に入れる」と決意し、そのための行動をしていけば必ず手に入ります。
手に入らないほうが難しいくらいです。
これらを手に入れることが難しく感じるのは、実際にそれが難しいことだからではなく、自分自身がそこまできちんと「手に入れるためのアクション」を行っていないためイメージできないだけにすぎません。
実際、「私は男運が悪い、いつもダメ男にひっかかる」と嘆く人に、「ではその状況を変えるために、恋愛系や心理系の本を読んで勉強したことはありますか?」と聞くと、99%の人が「そんなの発想にもなかった」といいます。
自分自身が「より良いもの」を獲得しようとしていなければ、それが手に入らないのは当然です。
自分で自分を幸せにしようとしていなければ、いつまでも幸せになれないのはごく当たり前の話です。
何かが「できない」「難しい」と感じるときって、こういうなんらかの盲点を自分自身が抱えているだけであることが多いです。
自分の主観を外し、ものごとを冷静に分析していけば、ほとんど全てのことは簡単なんです。
幸せは簡単であり、幸せが難しく感じるのは自分の考え方のせいにすぎないと理解する。
「自分で自分を幸せにする生き方」に変えていけば、誰でも必ず幸せになれると知る。
これが幸せな人生のスタートラインです。
「欲しくないふり」をするのはやめよう!
もう一つ、あなたの幸せの障害になるものがあります。
それは、あなた自身が「欲しくないふり」をしてしまうことです。
世の中には一定数、「あれば当然、幸せになれるであろうもの」に対して、自分でわざわざ「私は別にこれは欲しくない」と思い込もうとする人がいます。
私は別にお金にはそこまで強い執着がない。
だからお金なんかなくても平気。
私は恋愛にそこまで強い執着がない。
だから愛なんかなくても平気。
こういう人には、イソップ童話の「酸っぱいぶどう」というお話をご紹介します。
酸っぱいぶどうとは、こんな話です。
↓
お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。
食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。
何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。
要するに、本当は欲しかったけれども、どうしてもそれが手に入らなかった。
でもその悔しさを受け入れる度量の広さがなかった。
だから、その対象を一転「価値の無いもの」「自分にふさわしくない低級なもの」と思い込むことで、自分はそれを欲しくなんかなかったと思い込もうとする。
そうすることで、「己の能力の不足と向き合うこと」から逃げて、心の平安を得ようとする。
そういう思考のことを「すっぱいブドウ」といいます。
お金は無いよりは当然あったほうがいいに決まっています。
愛する人は、いないよりはいたほうがいいに決まっています。
もちろん、お金がなくて幸せになることはできますし、愛がないまま幸せになれるケースもなくはないでしょう。
だからこれらは絶対必須というわけではありません。
でも、「ないよりはあったほうがいい」という事実は変わりません。
本当は欲しいものを「いらないふり」をしながら生きるようなのは、自分に嘘をついているので必ずモヤモヤが残り続けます。
そんな生き方をしていては、絶対に幸せになれないでしょう。
「ないこと」を美化しない。あったほうがいいものは、あったほうがいいと認めることが大事
少し前に「ミニマリズム」という考え方が流行したことがあります。
・無駄なもの持つのはやめよう!
・ものを減らすことで、幸福度が上がる!
・ものがいらないなら、お金もそんなにたくさんはいらない。
・ものを減らすと固定費が削れるから節約できる!
・ミニマリズム流節約術!
・ミニマリストになって毎月5万円節約できました!
・お金はいらない!
・月収10万円でも幸せになれる!
みたいな感じで言われていました。
しかし、本来のミニマリズムは、
「ものがありすぎると、考えなければいけないことも増えるので判断力が鈍る」
「ものを減らせば、思考がクリアーになり、より重要な判断だけに脳のリソースを割り振ることができる」
といった感じで、経営者など、日々「重要な判断」をし続けなければいけない人達が、より適切な判断を行い、より自分の事業の規模を大きくしていけるようになるために提唱された概念でした。
つまりミニマリズムの本質は、「より大きくなるために無駄を削れ」ということであって、決して「月々数万円の節約を喜ぶためのもの」ではないんですね。
ましてや「お金ははいらない」なんて、明らかに本質からズレています。
結局この人たちは、「お金がなくてみじめな自分を認める勇気」がなかったし、またそこから奮起して「お金がある自分に変わる勇気」もなかった。
しかし「自分はミニマリストだから」と宣言すれば、「これは自分で選んでいる生き方だ!」と思い込むことができます。
こうして、「お金がないことへの言い訳」として、ミニマリズムは流行してしまったんですね。
冷静に考えてみてほしいのですが、月収10万円では、子供が病気になったときにより適切な医療を受けさせることもできませんし、そんな低賃金の仕事ではただこなすだけの作業のような業務がほとんどで、やりがいも高くはないでしょう。
自分がその仕事を通して社会の中でどういう役割を持つのかといったことを感じることもできないでしょう。
そんなの、幸せには程遠いでしょう。
このようにきちんと考えていったとき、「月収10万円でも幸せ」というのは、ただの現実逃避にすぎないことがわかります。
こんなふうに「ないことを美化する概念」が、この世界にはたくさんあります。
しかしそういう思想を採用している限りは、幸せにはなれないです。
「ないこと」を美化しない。
「あることは望ましいこと」だと素直に認める。
それが幸せな人生を作るためのスタートラインです。
何か一つだけを得ても幸せにはなれない。
不幸な人の多くは、「愛があれば幸せになれるはず」とか、「お金だけあればそれでいいはず」とか、幸せをかなり単純化して捉えようとしていることが多いのですが、それは間違いです。
愛は、それ単体で幸せを作りはしません。
お金も、それ単体であなたを幸せにはしてくれません。
幸せを構成する要素の一つに、愛があり、お金があるというだけです。
だから、「愛もお金も全てに対して、一つずつ足りないところを埋めていく」といった感じで考えていくことが幸せになるための第一歩なんですね。
RPGゲームなどでも、各キャラクターにはステータスがあります。
こうげきりょく、ぼうぎょりょく、すばやさ、みたいな感じで。
では攻撃力だけを高めれば最強になれるでしょうか?
そんなことないはずです。
そういうキャラは、素早さが遅いので敵に先手をとられ、防御が低いのでその一撃でやられてしまうかもしれません。
だから、ステータスはある程度、平均的に伸ばしていく必要があります。
(もちろんその中でとくにこれを伸ばすという個性はあっていいのですが、偏りすぎていて最低水準を満たしていなければ使い物にならないということです)
幸せもこれと同じなんですね。
人間は愛だけでは幸せにはなれません。
なぜなら、愛だけでご飯は食べれないからです。
かといって人間は「お金だけあれば幸せ」というわけでもありません。
なぜなら、どれだけお金があっても、誰からも愛されていない人は孤独だからです。
もちろん人生の時間は限られているので、ゲームの中のように全てのステータスをマックスにすることは難しいでしょう。
しかし、その中でも可能な限り、伸ばしやすいステータスはどんどん伸ばしていき、伸ばしづらいステータスに関しては「どうすればもっと簡単に伸ばせるか」を考えていくことは大事でしょう。
こういう日々を積み重ねている人と、そうでない人では、三年後の人生が大きく変わっているはずです。
人は愛だけでは幸せになれないし、お金だけでも幸せにはなれない。
よく、「愛があれば幸せになれるんじゃないかと思って結婚してみたけど、やっぱりなんか違う」と悩む人がいます。
これも、幸せを単純化して考えているがゆえに発生する問題です。
本来の幸せとは「これさえあれば幸せになれるはず」みたいにシンプルではありません。
恋愛や人間関係はもちろん、仕事やお金に至るまで、様々な要素がからむテーマだからです。
本来の幸せは、愛からお金に至るまで幅広い要素を一つずつ分析していき、「今の自分には何が足りていないのか」をハッキリさせ、その足りていないものを1つずつ埋めていくことで初めて実現することができます。
お金も愛も、全てを手に入れることを目指そう!
以上、長々と語ってきましたが、要するに僕が言いたいことは
「お金も愛も、あると良さそうなものは全部手に入れようぜ!」
「そうすれば、当たり前に幸せになれるでしょ!幸せにならないほうが難しいっしょ!」
「こんなに単純で当たり前のことに多くの人が気付けなくなっているのは、できないの思い込みや、ないことを美化する思想に取り憑かれているからだよ!そういうのは全部捨てよう!」
ってことですね!
by「ドクターストーン」より
かといって、「ないこと=不幸」なわけではない
なお、最後に一つだけ補足します。
ここまで「愛もお金も全てがあることが幸せの定義だよ」と言いましたが、かといって「それが全て完璧に実現できていない人は全員不幸なのか?」と言われたらそういうことではないです。
僕自身、上記にあげたようなことが全て完璧に揃っているわけではないですしね笑
でも僕は現時点でも、普通の人よりは「圧倒的に幸せな人生」を送っていると感じています。
だって、今の僕には「すでにあるもの」もたくさんありますので!
なんてったって「ブログで稼ぐ」という自由気ままな生き方を実現することができていますし、お客様からは日々感謝の声が届くのでやりがいもあります。
仕組み化や外注化も徹底しているので、自分がマンパワーでがんばらなければいけないところはほとんどありません。
そこまでがんばらなくても、どんどんお金が稼げるうえに感謝までされる!わーい!
家族仲は、ちょびっとだけ改善の余地があるかもしれません。
友人関係は、友達があんまりいないのでいまいちかもしれません笑
でもまぁこれらも、これからなんらかのアクションを行えば変えていけるでしょう。
そうすれば、僕はすでに充分に幸せですが、さらにもっともっと幸せになることができるでしょう。
ってなわけで、今の僕だって「全てが完璧に揃っているわけではない」ですが、だからといって決して自分が不幸だとは思っていません。
これは先ほどの「ないことを美化するな!」という話と矛盾するように聞こえるかもしれませんが、
「ないことを美化せず、今ないものを欲しいと素直に認めること」と
「かといって今ないものに目を向けてウジウジしてても仕方ないので、だったら今あるものに目を向けてその喜びを感じながら生きていくこと」は
同時に両立できることなので、何も矛盾しません。
多くの人は、幸福のことを「マイナスな状態から、プラスな状態になるもの」というイメージで捉えているかもしれません。
でもそれは違います。
幸福とは、「すでにたくさんのプラスがあることに気付いている状態から、そのプラスをさらにさらに伸ばしていく」ようなイメージで高めていくものなんです。
だから、幸せな人生を送りたいのであれば、
「今の私にはこれがない、あれもない」と欠乏感にとらわれながら生きるのではなく
「今の私にはこれがある、同時にこれもある。そこにさらに、今度は新しくこれを手に入れたらもっと幸せになれるだろう」みたいなイメージで、
自分のすでにあるプラスに、さらなるプラスを加えていくイメージで進むことが大事です。
こういうとたまに、「私には本当に何もないから、そんな風に考えることなんてできないもん!!」という人がいますが、それは原理的にありえません。
どんな人にも、「すでに幸せなところ」は必ずあります。
それは「ないの思い込み」に囚われて気付いていないだけで、きちんと検証すれば必ずあります。
ただしそれについて語り出すとまた話が長くなるのでここは割愛します!
ここまでの話のまとめ
- 幸せになりたいなら、愛・人間関係・家族・お金・仕事・やりがいなど、人生を構成する要素の一つずつ全てに対して、「より良いもの」を自分に与えればいいだけ。何か一つだけではなく、愛もお金も全てを欲して全てを高めていくことを目指すことが大事。
- できないの思い込みにとらわれて、自分の可能性を自分で潰すな!
- 欲しいものを欲しくないふりをするな!そういう思想で自分をぬりかためてごまかすな!
- でも、「ないこと=不幸」というわけではないのでそこは間違えないでね!
- 今無いものを欲しいと認めつつも、欠乏感にとらわれずに今の自分にあるものに気付いてその喜びを感じることは矛盾しないよ!
以上が僕の考える幸せの定義です。
今の自分には、たくさんの「すでにあるもの」があると気付き
そのうえで、さらに愛もお金も全てを手に入れにいく。
そのためにきちんと「今後していくアクション」まできちんと考える。
そのアクションを考える知識がないなら勉強する。
これらを一つずつ行っていけば、どんな人だって必ず幸せになります。
むしろ不幸になるほうが難しいはずです。
幸せはこんなにもシンプルで簡単なんです。